不定期連載『サイキックの研究と分析』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇観測によって物質化する◆◇
「『観測』が力を持っている」というのがあります。
『コペンハーゲン解釈と重ね合わせ状態』の所で書きましたが、
量子論で出てくる「波動関数の収縮」の話で、
ボーアによる「コペンハーゲン解釈」によると、
観測前の素粒子は位置と運動量が定まっていない、なんだかよく分からない状態だが、
「観測によって状態が収縮する」ということが言われてました。
◆サイキックの研究と分析(7) ~コペンハーゲン解釈と重ね合わせ状態~
しかし、ここで「なぜ収縮するのか?」「どうやって収縮するのか?」については、
物理学では分かってません。
この現象に対して、「客観的収縮論」という独自の持論で「意識によって収縮する」と主張しているのが、
「量子脳理論」のロジャー・ペンローズだ、という話でした。
◆サイキックの研究と分析(12) ~「量子脳理論」というもの~
この辺は、物理学的には理由がよく分かっていないものの、
なんにせよ「観測によって収縮する」と解釈することで納得できるということで、
多くの人がそれを信じています。
そして、「観測によって収縮する」とは、
観測によって「波のような状態から粒のような状態に収縮する」ということでもあります。
これは、言い換えると、「素粒子」は、観測前は「波のような状態」であるけど、
「観測によって物質化する」ということになります。
「他者の視線」が物質を作る?
今度は自分の専門である思想体系『ヌーソロジー』の話になりますが、
ヌーソロジーでは、
「自己と他者の相互の視線から起きる物理現象」を重要視します。
ここで重要となってくるのは「他者の視線」の働きで、
ヌーソロジー的には「他者の視線」や「見られる」という意識によって、
「物質世界がそこにある」という物の見方が生まれます。
これによって人間の思考様式(ゲシュタルト)が強くなってくるため、
「『他者の視線』は人間型ゲシュタルトを強固にする」と言うことができます。
それから、「見られること」によって生まれるのが「幅」の意識である、とかもよく言われます。
「幅」の意識というのは、「横からの視線」を意識することで、
客観的に物体の「長さ」や「距離感」をイメージする意識でもあります。
ヌーソロジー的には、「物質世界」とはそういったゲシュタルト(思考様式)が作り出すものになります。
ここで、「観測」についての話に戻すと、
量子論の「観測によって素粒子が物質化する」という話と、
ヌーソロジーの「他者の視線によって『幅』の意識が生まれる」という話が、
「物質世界を作る」という点において繋がっていきます。
サイキックの道を開くということは、そこから脱却する道を開くということにもなります。
これらのことから、サイキックの道を開く手段として言えるのは・・・
「他者からの観測」の意識を遮断すること。
それから、「目の前という一点(奥行き方向)」にただ集中すること
になります。
以上、「自己と他者」の視線の関係や、
それにともなう「身体」の在り方など、
自他の関係性から起きる物理現象を解明することで、
サイキックを解明する道というのもあります。