不定期連載『サイキックの研究と分析』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇確信の法則◆◇
次に、『確信の法則』についてです。
『確信の法則』は、『認知の法則』の次段階のものと言うことができるものです。
『認知の法則』で捉えたものは、
それをさらに「確信」することによって強めることができるというのが『確信の法則』です。
『確信の法則』は、後述する『具現化の法則』とも相性が良いです。
「目に見えない世界」を認知した時に浮かんだイメージから、
「偶像」を実際に描くことで、「確信」が強まることもあります。
あと、不思議な力を持つ言葉を唱える「呪文」や、
自己暗示用の言葉を唱える「アファメーション」といったものも、
「確信」の力を高めるために効果的です。
◆アファメーションを「仕事や人間関係に活かす」7つの基本と8つの実践例
現代では、特に「アファメーション」が使われることが多く、
それらは「成功法則」や「引き寄せの法則」の力を強めることにも使われます。
この『確信の法則』は、人間の社会に「宗教」を成り立たせる原因となるものでもあります。
「宗教」というものは、何かしらの神様的存在や、その神様の教えのような、
特定の抽象的な存在や教えを「確信」した人が集まって、集団になった時に生まれるものです。
集団になって大きくなれば大きくなるほど「確信」の力が強まる一方で、
集団が分裂していく要因や、集団としての危うさも出てきますが、
一応、人間の社会に宗教が出てくること自体は、
サイキック的に理に適ったことであるため、間違っているわけではないです。
ただ、「思想の押し付け」や「思想の排除」などをしていたり、
一線を越えるようなことをしていると、人として間違った行為になるため、
間違ったことをしている宗教が間違っている、と理解するべきでしょう。
確信してる人同士での差異
それから、これは『認知の法則』でもあったことですが、
「確信してる人」と「確信してない人」の違いというのもあり、
この両者もまた、住む世界が違うぐらい発想が違ってくるため、
言い争いが起きやすい所です。
また、自分のしている「確信」が、他者にも通じているとは限らないため、
下手に「他人も一緒」と捉えてしまい、思想の違いが分からないまま行動していると、
どこかで違うということに悩むこともあります。人間社会ではあるあるです。
「認知」のレベルで違う人同士の場合は、ちょっとした違いで済んだとしても、
「確信」のレベルで違う人同士となると、キリスト教とか仏教とかイスラム教とかヒンドゥー教とか、
宗教が異なる人ぐらいの違いがあるでしょう。
なので、この辺は「自分と違う宗教を信じてる人は、違うものを信じている」といった、
異文化交流への配慮が必要な所です。
他宗教が混在している場所や国に住んでいる場合ほど、そういう配慮が必要になってくるでしょう。
そうした配慮がないと、宗教戦争というやつが起きてしまうわけです。
以上、『確信の法則』によって「確信」をすることは、サイキック的にも強い力を生みますが、
一つのことにひたすらこだわるのは、それ以外の視点が見えずらくなったりするので、
盲目的になるリスクのあることでもあります。
自分が信じているものと他の人が信じているものは違うかもしれないという可能性は、
頭の片隅に置いておくべきことです。
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朝に窓を開けて、口をパッと開き、ゆったりと呼吸すると気持ちいいです。
初音ミク 「春だ春だ」 kogomi88
出口王仁三郎~水の化身~王仁魂復活プロジェクト
https://www.youtube.com/watch?v=A4R6RB_SYPE
神は遍在で実在し、個人は偏在でマボロシと思います。
『あるヨギの自叙伝』第三十一章ラヒリ・マハサヤの未亡人からの抜粋です。
霊的法則の全能性ついては、エルサレムに 凱旋 の入城をしたときのイエスの言葉の中にも述べられている。弟子たちと群衆が歓声をあげて、「天には平和、いと高きところには栄光あれ」と叫んだとき、一部のパリサイ人たちは、その光景が神と聖都の威厳をそこなうものであると言ってイエスに抗議した。「師よ、あなたの弟子たちを黙らせなさい」
しかしイエスは、「もし彼らを黙らせたら、かわりに石が叫び出すだろう」と答えられた。
・・・
すなわち、イエスはこう言われたのである「あなたがたは、平和な人々の口を封じようとするのか。それは、神の口を封じようとするのと同じことだ。神のつくられたものは、一片の石でさえも、神の栄光と遍在を喜び歌っているではないか。・・・」
アタシは三日坊主で、時間を決めてトレーニング出来ませんけど、世界平和は毎日祈ってます。