今回は現代社会に通じるヌーソロジーの話をしていきましょう。
『右翼のスマル』と『左翼のスマル』というワードで説明できる話があるので
それについて書いていきます。
~目次~
・スマルとは?
・右翼とは?
・左翼とは?
・右翼のスマルと左翼のスマル
・良さげな右翼と良さげな左翼
・アーリマン的な悪とルシフェル的な悪
・まとめ
スマルとは?
まず、『スマル』とは何か?
これはヌーソロジー用語の一種で、知らない人向けにおさらいすると、『変換人型ゲシュタルト論』の以下でも少し書いた「プレアデスより下次元にあるもの」です。
ヌーソロジーには『オリオン』『シリウス』『プレアデス』『スマル』という4大概念があるので…
『スマル』はそのうちの一つである「意識の領域」みたいなものになります。
『冥王星のオコツト』による説明だと以下のものがあります。
スマルとはオリオンとプレアデスの関係が完全に転倒したところに生み出されている虚無のようなもの。進化の無限性の反対側に存在させられています
スマルは人間の意識がプレアデス的領域を宇宙の本質と錯誤したときに生まれる、いわばオリオンの進化の力が完全に転倒させられたところにある力です
このスマルは、人間という次元を作り出すためには必要不可欠な力なのですが、最終構成においては人間の意識進化を妨げる強力な抑止力となります。分かりやすく言えば、地球人に物質という概念やエゴを与えている力とでも言いましょうか。
「虚無のようなもの」ということで、まるで地獄のようにネガティブな概念ですが・・・
「人間という次元を作り出すためには必要不可欠な力」という風にも書かれているし、「人間の意識進化の反映として出現してくるもの」「新しい精神を作り出すためには必要な影の部分」などとも書かれています。
そんな感じで、『スマル』は人間社会において必ず出てくるものであり、ある意味では意識進化に必要な概念とされています。
右翼とは?
次いで、『右翼のスマル』と『左翼のスマル』について説明するために
「右翼」と「左翼」について説明しましょう。
右翼と左翼は、18世紀のフランス革命期の時の議会が元になってるぐらい古く使われている政治用語です。
フランス革命の時は、国王を中心とする君主制の政治にするか、民衆を中心とする共和制の政治にするかで思想が割れていました。
その時、君主制を支持する立場が右側に座っていて、君主制ではなく民衆に政治的決定権をもたせる共和制が左側に座っていたため、そうした風潮が伝統的に続き、保守派を意味する「右翼」と、革新派を意味する「左翼」という呼び方が定着しました。
しかし、後世の政治においては、民主主義や資本主義が先進国の主流となってるため、政治のシステムは昔よりも複雑化していて、状況によって何を「右翼」と呼び、何を「左翼」と呼ぶか、揺れ動きやすい概念となっていますが・・・
簡単に言うと「保守」の立場が右翼であり、「革新」の立場が左翼ということになっています。
今の日本の政治でいうと、与党である自民党が「右翼」であるし、それに反対する野党が「左翼」ということになります。
まぁ、そもそも政治の状況が昔と大きく違っているので、「右翼」と「左翼」という呼び方自体が古いって説もあるんですが・・・
今回は便宜上その言葉を使っていく方針でいきます。
右翼の思想として典型的なのが、指導力のある人間を中心とした「富国強兵」の思想です。
国が強い力を持っている方が良いし、お金があって豊かな方が良い。
指導力のある人を軸にした方がまとまりやすいし、厳しくルールを作って管理した方が無難にまとまりやすい。
そういう一連の「保守」の思想に向かうほど、より強く「右翼的」と言えます。
これが行き過ぎると、「ファシズム」と呼ばれるぐらい強い結束を持つようになり、さらには他国への侵略戦争まで良しとするとなります。
そこまで行くと流石に現代日本では好まれません。
右翼の中でも過激派と穏健派と分かれることはあるので、同じ派閥内でも色々とあります。
ルールに厳しくならないと富国強兵は難しいし、人民管理の発想も出てくるため、こうした思想は「自由」や「多様性」と相性が悪いです。
今は、世界中がなるべく戦争しないように動くのが基本となってるため…
「外交のために他国に舐められない程度の軍事力を保持しながら、そこそこの経済力を維持する」
みたいに、外交と経済についてを優先的に考えていくことが保守的であり、今の日本の与党の思想もそんな感じになっています。
また、政治の話はとりあえず置いといて、もっとざっくり捉えると…
なにか「力を持った権威」があった場合、「権威に従おうとする立場」が「右翼」に近いと言っても良いでしょう。
左翼とは?
「左翼」は「右翼」と同様に揺れ動きやすい概念ですが・・・
簡単にいうと「右翼に反対する立場」が該当します。
富国強兵みたいな思想は、豊かさと安定をもたらすため無難に魅力的ではありますが、人民管理は必ずしも完璧に上手くいくとは限らないし、殺伐とした状況にもなってきます。
また、もっと平和を大事にしようと考えると、それと対立した思想が出てくるようになります。
それから、富国強兵の思想みたいなものは自由とも相性が悪いため、自由を重んじる者はそれに反対するようになります。
そうした「自由主義」は「リベラル」と呼ばれ、左翼に近い立場として捉えられるようになります。
あと、これが盛り上がると1960年代のアメリカで出てきた「ヒッピームーブメント」のように、ベトナム戦争に反対する平和運動が発展し、自然と調和した生き方を目指すスピリチュアルなムーブメントにもなってきます。
左翼とスピリチュアルもまた相性が良いため、両方兼ねている人も中にはいますが、必ずしもそこは同じ思想になっていくとは限らず、左翼にせよスピリチュアルにせよ、どこまでの思想を他に取り入れていくかは人それぞれになってきます。
以上のような「革新」に向かっていると言える思想が「左翼」であり、今の日本の野党も与党に反対しているものはそういう方向性を含んでいます。
(それが果たして本当に革新的であるかは怪しいですが・・・)
それから、政治の話はまたとりあえず置いといて捉えると…
なにか「力を持った権威」があった場合、「権威に逆らって変えようとする立場」が「左翼」に近いということになります。
右翼のスマルと左翼のスマル
今回書きたいことを結論からいうと、
「右翼にスマルがあることは有り得るし、左翼にもスマルがあることが有り得る」という話です。
これをそれぞれ『右翼のスマル』と『左翼のスマル』と呼ぶことにします。
「右翼⇒保守」「左翼⇒革新」とするならば、『保守のスマル』と『革新のスマル』と呼んでも良いかもしれません。
まず、『右翼のスマル』とは何なのか?
これは割と分かりやすいもので、例えば、「より強く、より豊かに」を目指す「富国強兵」の思想では、人民管理が必須になるので、必ず「支配」の構造が出てくるようになります。
その支配が作り出す地獄のような状況や、そこにある意識の構造が『右翼のスマル』と言っても良いでしょう。
特に、『スマル』は「思考停止」と密接に関係している概念なので、そうした支配的な社会の中で思考停止してる者が多い時に、スマル的な風潮が増大していくと言っても良いでしょう。
大体、権威に従うエリートみたいな人は右翼側に該当し、それと異なる大衆派みたいな人は左翼側に該当するので、陰謀論のような話だと、政府とか金融機関とか製薬会社とか超大企業とか、「大衆を支配する闇の勢力」が右翼側にあると誘導されることが多いです。
したがって、「支配する力を持った権威」を『右翼のスマル』のようなものとみなし、悪い存在かのように扱われることがよくあります。
一方で、『左翼のスマル』とは何なのか?
「左翼」は一見、支配的な存在に逆らおうとする勢力ということで、良さそうに見えるものですが、その思想は必ずしも成功するものではなく、むしろ人間の歴史を見るとほとんど失敗しています。
何故失敗してしまうのか? そこは人間の限界ということで調べると色々と出てくるでしょう。
日本で起きたことで有名な話だと、1968年頃に「全共闘」と呼ばれるものがありました。
元々は大学の学費値上げから発端した反対運動でしたが、そこから日本の各大学にいる学生が組織的に一致団結した武力闘争になり、資本主義に反対する共産主義の思想を持つ者も混ざったりして全国的に大きい団体となりました。
ここでは、大学や警察や政府といった権威側が「右翼」で、それに逆らう学生が「左翼」みたいな構図となります。
しかしながら、最終的には左翼側である学生達の間でも内部抗争みたいなものが生じて荒れ狂った状態になっていきました。
革命で団結する立場の者同士で暴力沙汰になるほど争う事件が度々起きて、これが「内ゲバ」と呼ばれるようになりました。
アメリカで1960年代にあったヒッピームーブメントも、元々はアメリカが引き起こしたベトナム戦争に反対する流れがあって出てきた平和を愛する「左翼」の立場です。
しかしながら、フリーセックス問題・暴動問題・薬物利用の問題と、様々な問題を抱えていたこともあり、次第に衰退してしまいました。
どうもこの辺りの話で共通しているのは、「利己的で支配的な政治」を嫌って戦って立ち上がったにも関わらず、そういう立場の者も結局、利己的な性格を持っている者がほとんどで失敗するか、あるいは、多くの人を統率する力や組織の維持能力が無くて衰退するか・・・ということが多いようです。
大体、ここでも自分が信じるものに対する「思考停止」が起きた時に、結局うまくいかない状況が出てくるようになります。
右翼側でも左翼側でも、思考停止によって『スマル』が生じる法則は共通しています。
以上のように、左翼の立場の者達に巣食うエゴみたいなものや、そこにある意識の構造が『左翼のスマル』と言っても良いでしょう。
そんなわけで、右翼的なものも左翼的なものも、良さげな方向に行くものもあれば、『スマル』みたいな方向に行くことも双方あるわけです。
分かりやすく言うと、双方に「悪」みたいな存在があり、同時にその逆の「善」みたいな存在もあるため…
「善悪×悪善」みたいな構造になっているわけです。
ヌーソロジーでは、こうした「2×2」の構造のことを『キアスム』と呼び、意識進化やアセンションのためには理解することが必須の概念となっています。
良さげな右翼と良さげな左翼
さて、双方とも悪い方向性のものがあれば、良い方向性のものもあります。
双方において「良さげな方向に行くもの」はどんなものでしょう?
良さげな右翼は・・・まぁ公務員みたいなものと言っても良いでしょう。
右翼を支える者の代表例といったら軍人だし、軍人というと昔は良いイメージはなかったかもしれませんが・・・
今の日本の自衛隊は割とフツーの人でも、過酷な訓練を潜り抜ければなることができるので、色んな人がいるらしいです。
(みんな屈強な肉体を必ず持ってそうだけど。)
自衛隊の人達は、災害が起きた時のレスキュー活動などで大活躍してくれます。
自衛隊に限らずとも、権威ある立場の職業の中で、真面目に仕事をしている人は国やみんなのために働いている人もいます。
あと、現代は国に仕える仕事をするのが権威主義というより、お金を稼ぐのがとにかく上手い人が権威主義だという風潮もあります。
お金を稼ぐこと自体は良いも悪いもないためなんとも言えませんが・・・
そうした力を持つことによってできることや可能性が増えることもあるため、良い方向性もあると言えます。
そんな良さげな右翼は、ヌーソロジー的にはプレアデス的な存在と言って良いでしょう。
一方で、良さげな左翼は・・・これもそれなりに良い人なんじゃないでしょうか?
立場的には自由主義に近いので、自由を愛する良い人となるでしょう。
自衛隊のように過酷なルールには耐え難いかもしれないけど、自由を求めるのは悪いことではありません。
あと「愛」という言葉を使いがちなのはこちら側の特徴ですが、愛情深い人が悪いわけではありません。
(その愛が本物であればの話ですが・・・)
こちら側にいる人は理想が高いのが特徴と言えるので、上手くいかないのは理想の高さに要因があるかもしれないと言えます。
自由と善意、あとは愛だとかを基軸にした社会が作れればそれが理想ですが、人間の世の中は、大衆性を考慮すると管理統制の発想を取り入れないとなかなか上手くいかないものです。
やはり、そうなると右翼側の思想を持つ人とのやり取りは必須だろうと思います。
また、「スピリチュアル」にも通じているのがこっちの立場ですが、その方針で成功していて、社会を変える力まで持ってる天才みたいな人はなかなかいません。
多くの人はどうしてもスマル化してしまうものです。
ただ、もし成功しているならそれはシリウス的な存在と言えると思います。
アーリマン的な悪とルシフェル的な悪
さて、『右翼のスマル』と『左翼のスマル』の話に関連して、ヌーソロジーで言われている話があります。
ヌーソロジーではシュタイナーの言葉を引用して、
「悪」には「アーリマン的なもの」と「ルシフェル的なもの」の二種類のタイプがある
ということが、書籍『2013:シリウス革命』に書かれています。
「アーリマン」とは物質的な存在であり、思考を固定する支配的な存在でもあるものです。
「科学」がその存在に近いです。
そして、そこから生じる悪が「アーリマン的な悪」ということになります。
一方で、「ルシフェル」とは精神的な存在でもあり、曖昧さをもたらすがゆえの危険な存在でもあるものです。
「宗教」がその存在に近いです。
そして、そこから生じる悪が「ルシフェル的な悪」ということになります。
そして、「右翼」は保守的で物質的なものに近く、「左翼」はそれを破壊するものとして、精神的で宗教的なものに近いです。
したがって、『右翼のスマル』はアーリマン的な悪に近く、『左翼のスマル』はルシフェル的な悪に近い
ということが言えるようになります。
「スマル=悪」というわけではありませんが…
『スマル』から生じるエゴから、それぞれ「悪」のような存在が生み出されていくと言っても良いでしょう。
それから、人が特定の集団に対して「悪」と認識する時は、だいたい自分側の立場にある「悪」と、相手側の立場にある「善」に気付いていません。
そのため、以下のような状態になります。
したがって、そうした状態にならないように気をつけつつ…
双方の「悪」もとい『スマル』のような存在に気付いていく必要があるわけです。
まとめ
繰り返しになりますが・・・
要するに伝えたいのは、以下の図のように左右双方の方向性において『スマル』のような存在があることです。
それから、こうした「2×2」の構造のことを『キアスム』と呼び、ヌーソロジーの考え方の基本になっていることです。
そんな構造が世の中のあちこちにあるので、双方の立場の中にあるものに気をつけましょう
という話でした。