不定期連載『陰陽哲学基本概要』シリーズ。 記事一覧はこちら。
前回、「言語化の法則」と二種の陽と二種の陰について説明した。
「言語化の法則」を踏まえて「天と地」の意味を深めると、二種の陽と二種の陰の意味がさらに分かってくるので、それについて説明しよう。
原始の「天」について
まず、「天」の意味の基本は太始にあるものであり、そこから常に変化して動いていくので「始動」するものに該当する。
それから、「造化」と呼ばれる働きがそこで機能していて、それがあらゆるものを創造する大元になっている。
この「造化」と「始動」の働きは「真理」とすることができる。
それから、その働きの中には「秩序」のようなものがあると解釈できるだろう。
易経においても「天」の作用は日月星辰のように書かれており、星の動きのように秩序を持ったものとして解釈される。
あるいはそれは原子の構造のようなものかもしれない。
原子核があって電子があって素粒子があって・・・その大元となる仕組みや物理法則が先にある中で、この宇宙や物質は生成されている。
そこから「地」の作用が働くことによって、万物が自然を彩るようになる。
「天」のある方向は「上」であり「頭」でもあるので、その性質はどちらかというと頭脳主体であり知的であると直観できる。
そのため、そこに「真理」と「秩序」があるという構造は直観的にも理解できるだろう。
そして、この「秩序」の力は最終的に人間に言語をもたらすようになり・・・
そこからは話が違ってくる・・・
原始の「天」の言語化について
人間はそもそもどうやって生まれたのか?
ダーウィンの進化論に基づく仮説だと、極めて人に近い猿のような動物が進化によって誕生して、さらに何故か言語を扱えるように進化して人間が誕生した。
類人猿に言語をもたらした作用は「天」の作用である。
何故なら、天は男性原理でもあり、言語は男性原理によって生成されるものだからである。
これは古代中国の宇宙論が根拠というより、ヌーソロジーが主な根拠となるため・・・従来の易経からは少し話が飛躍するが・・・
なんにせよ、宇宙における男性原理的な作用と女性原理的な作用が結合した奇跡によって、この宇宙に人間が生まれるようになったわけである。
ここで言う女性原理は動物の肉体で、男性原理は言語に該当する。
だから「地」は動物的なもので、「天」は言語的なものである。
易経における「天」は始動を司るわけだが、人類の誕生において「天」は言語の始まりを司った。
そして、そうした「天」の力によって人間が生まれて、言語を以てそれを解釈しようとする時・・・
そこからは話が違ってくる。
原始における「天」は「純粋な理(ことわり)」のようなものなのだが・・・
そこから「言葉の壁」のようなものが出てきて、その本質の理解が難しくなった。
さらに、言語から「法」の概念が生じるようになる。
「法」は、国家が定める「法律」の意味もあるが・・・
広義においては「言語によって定められる、ありとあらゆる決まりや固定観念」とも言えるものである。
人間は「天」のように純粋な理を扱おうとするが、それを言語にして説明しようとするとどうしても違う方向にいってしまう・・・
西洋ではそれをキリスト教のように「神の言葉」として伝えたが・・・
後にローマ帝国がキリスト教を国教化して以降、傍若無人なことがたくさん起きて大変なことになっていった。
また、東洋においてもなかなか上手くいかない。
古代中国では人情と知能を併せ持った優れたリーダーのような者は「君子」と呼ばれ、「天」の自然の道理に適った君子について易経でもずっと研究され続けてきた。
孔子が生まれた紀元前500年ぐらいの時から2500年ほどの長い歴史の中で、中国では「天の力を持った君子」のようなリーダーが国を治めることがずっと望まれてきたが・・・時には上手くいったこともあったにせよ、上手くいかないことの方が多かった。
これは西洋の哲学者も悩んだし、東洋の哲学者も悩み続けた問題だが・・・
なんにせよ、「天」は言語化するとその理が「法」のように人をしばるものになる性質と、その本質が見えなくなる性質がある。
「法」の力の独立
「天」の力は「言語」の力となり、「言語」の力は「法」の力となる。
そこからは、本来の理とは独立して機能して、権威的な力を持つようになる。
「法」の力はどんどん強くなって、国を作れるぐらい大きくなって「国家」ができた。
「国家」ができてからは人間社会の発展し、長い歴史を作るようになった。
易経の文献も国家があったから後世に残るようになったし、古今東西のあらゆる学問は安定した国家があったからこそ研究が進み、その成果が文献として残されて伝わるようになった。
どの国でも君主が支配していた時代があったり、宗教が支配していた時代があったりしたが・・・
日本のような先進国は最終的に近代化によって資本主義や民主主義に行き着いた。
資本主義や民主主義は大衆の意識によって動いている性質が大きいため、今度は「大衆意識」が権威を持ったものとして機能するようになる。
話が長くなってしまったが・・・
要するに、言語前の天の力「元陽」と、言語後の天の力「顕陽」は、
以下の要素に紐づいて派生するようになったわけである。
原始の「地」について
さて、「天」の次は「地」についてを追ってみよう。
「天」が「真理」と「秩序」の要素を持っているとすると・・・
「地」は「大地」と「混沌」の要素を持っている。
「大地」は「真理」と違って「とにかく目に見えて確認できる大自然」であり、大地や大自然が「混沌」のようであることは、直観的にも理解できるだろう。
もちろん、大地や自然にも「秩序」のようなものはあるだろうが・・・
そこで動物や植物が繁栄するようになり、生命には「生」と「死」があって、動物には死を恐れて生きる感情があり、捕食が可能であり、必然的に弱肉強食が自然となるような暗黙のルールがある。
そこには「天」の秩序とは違って個人的な感情があり、混沌としていると解釈できる。
そして、「天」によって言語を生じるようになると・・・
それに対する「地」の作用は非言語的なものであるため・・・「天」ほど大きなことは起きず、人間が扱う「言語」の裏目として機能するようになる。
人間の世界でそれ以降に派生する「地」の作用も「天」の作用の裏目として機能する。
「法」に対してはそれに囚われない「自然」があり、「国家」の圧力に対してはそれに抗う「自由」があり、「大衆」の意識に対しては「異端」の意識がある。
つまり、言語前の地の力「元陰」と、言語後の地の力「顕陰」は、以上のような図でまとめられるのではないだろうか?
陰陽哲学基本概要の全体まとめ
以上。再解釈した「天」の意味からなる陰陽の全体像が掴めてきただろうか?
要するに「元陽」「元陰」「顕陽」「顕陰」の4つは、以下の要素を紐づいた意味となる。
これを「陰陽哲学」における陰陽論の基礎として、
さらに色々と話を掘り下げていこう。
ちなみに、先の全体像の下側の要素は、以下のように分かりやすい話にもなる。
このように、『アリとキリギリス』の寓話に出てくるような「働き者のアリ的な性格」と「怠け者のキリギリス的な性格」も、陰陽論を背景に理解することができるのである。
次回、このような分かりやすい概念と絡めながら、「陰陽哲学」を掘り下げていこうと思う。
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