不定期連載『変換人型ゲシュタルト論』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇基礎用語③ ノウス(NOOS)とノス(NOS)◆◇
さて、ここで古代中国の話をしよう。
中国には陽と陰という言葉がある。
それは+と-、正と負、光と影のように背反する性質を持つものであり、
そこにある二元論は、両者が同等の力関係にあるようなものとなっている。
これが西洋の場合、二元論となると光と闇みたいになり、
光➝善、闇➝悪となりがちである。
天使と悪魔もそのイメージだし、神とサタンもそのイメージである。
ただ、東洋思想においては、陽と陰は絶対的な善悪どちらでもないのが本質である。
それはいわば、男と女、太陽と月みたいなものだ。
宇宙全体においてはそのどっちかが絶対的善であってはならないもので、
長い目で見るとサイクルがあるような仕組みになっている。
「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」という有名な格言が東洋思想にある。
このように物事を善悪で捉えない発想は『シリウス』のヒントでもある。
書籍『2013:人類が神を見る日』でもオコツトは「善悪という概念はプレアデスが作る概念」と言っていて、シリウスにあるものは善や悪でなどといった概念で捉えられる働きではないと明言していた。
古代中国にもまた、シリウスに通じた知識があったのかもしれない?
中国にはこうした陽と陰を研究する「陰陽論」があり、「陰陽魚」と呼ばれる象徴的なマークがある。
これは道教のシンボルとなっているし、日本でもたまに見かける有名なものである。
陰陽のような概念で宇宙を解明するのもまた「宇宙論」と呼べるものであり、
陰陽論は東洋で身近な宇宙論と言える。
そして、ヌーソロジーもまた、それと同様みたいな宇宙論なわけである。
ヌーソロジーにおける根源的な陽と陰
そして、ヌーソロジーでも陽と陰みたいな概念がある。
それは、オコツトが『ノウス』と『ノス』と呼んだものだ。
半田広宣さんはそれぞれNOOSとNOSと言い換えて呼んでいる。
ノウス(NOOS)とノス(NOS)もまた、ヌーソロジーの中核となる概念なので説明する。
まずは書籍『2013:人類が神を見る日』に出てきたものを引用しよう。
「科学はノスの力で働かされていますが、生態系はノウスの力で働かされているものです。ノスとノウスは方向性が全く逆なのです」
(中略)
「ノス………? ノウス…………?」
「あなたがたが今言われたエントロピーの正と負の関係にある力の本質のことです。性質を作り出しているものと、定質を作り出しているもののことです。あなたがたの科学技術がいくら進歩しようともそれはノスの力です。プレアデス的統制の中で働かされている限り、科学は自然を破壊していく方向にしか働かないでしょう」
これはコウセンさんとオコツトが、科学と自然の調和について会話している所で出た内容だが、まずは「科学は『ノス』、生態系は『ノウス』」ということが言われている。
次に、「エントロピーの正と負の関係にある」と言われていて、「性質を作り出しているものと、定質を作り出しているもの」と言われている。
『性質』と『定質』は前々回も出てきたワードである。
次元観察子において「オリオンからプレアデスへと向かう力の流れ」が性質で、「プレアデスからオリオンへと向かう力の流れ」が定質である。
言い換えると、地上に向かっている力の流れが性質で、オリオン向きに進化していく方向が定質ということになる。
そして、オコツトによると、ノスが性質を作り出していて、ノウスが定質を作り出してるらしい。
つまり、ヌーソロジー的に進化に向いているのはノウスの方なわけだ。
そんでもって、「ノスは科学」に該当し、「ノウスは生態系」に該当するらしい。
ノスは地上に向かっていて、より動物的で人間的な力のようなものなので、そうした力で物質文明を強固にするように発展しているものが「科学」だというわけである。
対して、生態系や自然はオリオンやシリウスが絡んでいて、もっと超越的なものということになる。
「能動的なもの」と「受動的なもの」
ノウスとノスは他にも様々な説明がされている。
最近のコウセンさんによる説明だと、「ノウス(NOOS)は能動的なもの」で「ノス(NOS)は受動的なもの」だというのがある。
物質を能動的に想像するものがノウスで、その創造を受け取るものがノスらしい。
また、それぞれ色彩イメージがあり、ノウスは青、ノスは赤で描かれている。
ノウスとノスは共に動きながらも交差している位置があり、
その交差位置に「時空」があり、さらに人間がいるらしい。
そうした中で、通常の人間の意識は受動的なものであるノスの方が先手になっているらしい。
ヌーソロジー的に考えると、科学の発展が主流になるのはそれが理由である。
オコツトが『次元観察子』として送ってきた波形図にもノウスとノスがあるため、
ヌーソロジー的な宇宙のシステム(タカヒマラ)では、
ノウスとノスのような「青の流れ」と「赤の流れ」が螺旋のように回転し、交差しているわけである。
ヌーソロジー(Noosology)の名前の由来
オコツトが『ノウス』というワードを伝えた時、
コウセンさんは古代ギリシャにある「ヌース」のことを言ってるのだと思ったらしい。
「ヌース」とは、知性・理性・精神・魂などを意味するギリシャ語であるが、
要約すると「神的知性」「霊的知性」といった意味を持つもので、
プラトンといった哲学者が重要視した概念である。
昔はこれも「ノウス(nous)」と呼ばれていたが、「ヌース」という発音に変わったらしい。
また、最近のコウセンさんの説明だと、オコツトが言った『ノウス』のことを『ヌース』と呼ぶのが主流になっている。
そんな理由もあり、コウセンさんは『ノウス』のアルファベット表記の綴りをあえて『NOOS』としたらしい。
そしてこれが『ヌーソロジー(Nooslogy)』の命名の元となっているわけである。
ちなみに、ヌーソロジーは『ヌース理論』という名前で呼ばれていた時期もあり、
略称が『ヌース』となっている。
奇数と偶数
ノウスとノスは『次元観察子』にも大きく関係している。
ノウスは奇数番目の力、ノスは偶数番目の力にそのまま該当する。
次元観察子を以下のような波形図で表すと、奇数番目に青の流れ(ノウス)が来て、偶数番目に赤の流れ(ノス)が来るようになっている。
また、次元観察子と『負荷・反映・等化・中和』が関係していることを、前回で説明した。
そこで、『負荷』(1番目)と『等化』(3番目)がノウスで、
『反映』(2番目)と『中和』(4番目)がノスに該当するのである。
つまり以下のようになっている。
特に『等化』はノウスの力に近く、『中和』はノスの力に近い。
これらはセットで理解すると深まる関係になっている。
ノウスとノスはまるで奇数と偶数みたいな関係ということで、
これも純粋な「陽と陰」みたいな関係になってくる。
その関係に優劣といったものはないが、奇数はとんがっていて先駆者みたいな役割を持ち、
一方で偶数は必ず安定するような形になる。
とんがった力は『等化』、安定する力は『中和』のようなものであり、
これはノウスとノスの力にも通じている。
それらは必ず対の関係として捉えるもので、
絶対的にどっちかが善でどっちかが悪とかはない。
ただ、スピリチュアルの界隈だと、中和とかノスみたいに物質的で人間的で科学的なものはネガティブに捉えられがちである・・・
ヌーソロジーも危うくそうなりがちと言えるかもしれないが・・・実際はどっちもアリなものである。
だから、ヌーソロジーをちゃんと学んでノウスとノスの関係も正しく分かるようになると、実は何でもアリのような気がしてくる。
偶数系のものを取り込んで前向きになるものがヌース的思考であるし、そもそも、『等化』という概念自体がそうでないと成り立たないため、ヌーソロジーはそういう力を持つ。
また、『変換人型ゲシュタルト』も同様にそういう力を持っているわけである。
なんにせよ、奇数先手で等化していくのが意識進化の方向性であり、
それこそがノウスの方向性となる。
そんなノウス(NOOS)の力は「能動的知性」と呼ばれたりするものであり、
ヌーソロジー(Noosology)では主にそれを追い求めていくわけである。
奇数と偶数、ノウスとノスの関係は、
変換人型ゲシュタルトの基礎でもあるので覚えておこう。
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2013:The Day God Sees God 人類が神を見る日 [ digital edition ]
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