【連載】陰陽哲学

陰陽哲学基本概要(12) ~陰陽論と老子の思想(後編)~

投稿日:2023年12月9日 更新日:

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陰陽哲学基本概要(11) ~陰陽論と老子の思想(前編)~

引き続き、老子の思想について書いていく。
 

老子の思想はどんな思想か?

これまで道教の歴史について色々と書いていったので・・・
そこで崇拝された老子の思想は簡潔に言うとどんな感じの思想なのか?を説明していこう。

そのすべてを説明するとなるとこれまた大変な作業になるので・・・
大まかな方向性だけ説明したい。

まず、老子は「道(タオ)」という概念を真理として説明していた。

『老子(全) 自在に生きる(2005年, 地湧社)』より引用すると、老子道徳経では漢文を原典にして以下のようなことが書かれていた。

道可道非常道
名可名非常名
無名天地之始 有名萬物之母

常無欲以觀其妙
常有欲以觀其微
此兩者同出而異名
同謂之玄
玄之又玄
眾妙之門

 
~日本語訳~

これが真理だと口にしたところで
それがトータルで絶対的な
真理ではあり得ない
何かある物を名付けてみたところで
すべては変化の中の
ひとつの過程にすぎない
いま仮に
宇宙の始まりを
無と名付けるならば
万物を生み出したものを
有と名付けてもよいだろう

それゆえわたしは
形なきものに妙なるものを感じ
形あるものに
物事の発端とその展開を見ようと思うのである
無と有はただその名を異にするだけで
同時に存在し
不思議の不思議であり
すべての妙なるものが現われる
門であると言うことが
できるのである

まず初めに書かれている一章がこれなので、その内容はこの後も続いていくわけだが・・・
こうした抽象的なメッセージを残して、無駄な深追いはしない所に老子の魅力がある。
そんな古代文書のように謎な記述が、およそ紀元前500年ぐらいに書かれたものとしていつの間にか残っていたわけである。

上記にある「道可道非常道、名可名非常名」という記述は「道(タオ)」という真理についてであり、日本語訳では「これが真理だと口にしたところでそれがトータルで絶対的な真理ではあり得ない」と説明され、さらに「すべては変化の中のひとつの過程にすぎない」と付け加えられている。

例えば、その概念を白と説明したら、黒ではなくなるし、黒と説明したら白ではなくなる。善と説明したら、もしかしたら悪かもしれないし、悪と説明したら、もしかしたら善かもしれない。
神と説明したら、神以外ではなくなるし・・・そもそもそういう言葉で説明できるものではない。
すべては変化の中の一旦として表れるし、名前をつけてそれを固定すると、その本質から遠ざかってしまう・・・道(タオ)という真理はそんな概念であることが書かれている。

このように、老子の道(タオ)についての記述では・・・

真理は言葉によって表現すると真理から離れてしまう

という、「言語化の法則」の基本が冒頭で書かれているわけである。

だから、老子の思想は名前をつけて定着しているものや、形のあるものに注意をするし、そうした思想でずっと一貫した内容になっている。

 
また、そんな老子の思想は「無為自然」の重要性を説く。

「無為」とは何か?
漢字の意味そのままで解釈すると、何かの為に動くことが無いみたいな意味である。
その反対は「有為」といった所だろうか? 逆に「有為」は「何かの為に動く」みたいな意味ということであり、「作為的なことをする」みたいな意味でもある。

人間は「何かの為に」を意識して動くと、大抵はエゴのような意識であったり、自我で動くことが多い。
また、「言葉」が人間の自我と密接に結びついているもので、誰かの言葉や世間の言葉によって自我が形成されていて、そうした自我が思い描いた「何かの為に」みたいな意識によって人間は動いている。

例えば「愛」という言葉を大事にして、子供を愛する生き方や社会を愛する生き方をするべく、半ば強引にそれを強調して生きていると、誰かによって説明された「愛」や、偏った愛によって逆に何かを迫害するようになったり、思想を押し付けるようになったり、「私は人を愛している」という驕りから余計に我欲で動いているように思われることもある。
そもそも、もともと愛情深い人は「愛」を強調しなくても自然にやるべきことができている。
老子はそうした「愛」や「仁」や「義」といった言葉を騒ぎ立てるように使うことは良くないと強調し、そうした言葉に囚われたまま作為的なことをしていると、自然から外れた生き方になってしまうことを主張した。
老子が良くないとする「作為的なこと」は人間の我欲に結びついたものである。

そのため、そうした弊害を避けるために「無為」が大事なのであるが、何かの為に動くことをしないとなると、今度は何も動かなくなってしまう。
それはそれで駄目なので「無為自然」が重要になってくる。
これは「作為的なことをせず、あるがままの状態でいる」みたいな意味である。
何かをするべく動く時は、作為的な意識で動くのではなく、自然に則って動くようにする。そうすると、人間の自我によって生じた不幸から外れて生きることができる。

つまり、道(タオ)の真理を会得すれば、道(タオ)の自然に則るように動くことができて、人間の自我や言語の法則に則った動きから外れることができる。
そんな感じのものが老子の思想であるが・・・・・・これを理解することは容易ではない。
「無為自然」を理解するためには、無為とは何か? 自然とは何か? 道(タオ)とは何か?を正しく理解しないといけない。

だからこれはもはや人間の思考を説明した哲学ではなく、人間の枠を超えた感覚の世界の話なのであるが・・・

そんな深淵の領域を理解しようとするのが老子の思想である。
 

老子の思想と「柔」の哲学

真理に名前をつけることに注意したり、「何かの為に動く」みたいに分かりやすいものに注意するようになると、必然的に有形のものより無形のものを重んじることになる。

だから、老子の思想は有形のものよりも無形のものが好まれる。
必然的に「剛」の概念よりも「柔」の概念の方が重視されるし、「陽」側のものよりも「陰」側のものの方が重視される。
魅力がハッキリした強い者よりも、一見弱くてよく分からない者が重視されるし、固く力強いものよりも、柔軟性に長けたものが重視される。

そのため、『老子道徳経』では第八章に「上善水の如し」という言葉が出てくる。
これは「もっともすばらしい人は水のようである」みたいな意味であり、以下のように説明されている。

上善若水
水善利萬物而不争
處眾人之惡
故幾於道
居善地
心善淵
与善仁
言善信
政善治
事善能
動善時
夫唯不争 故無尤
 

~日本語訳~

もっともすばらしい人間は
水のようだと喩えることができる
水はあらゆるものに潤いを与えて
手柄を誇らず また
人々のもっとも嫌う低い所にとどまり
それゆえ道にそっくりだと言えるのである
水は低い所へ流れて
その心は深く
万物は水によって生命を得るのである
水はよく澄んでよく他者を映し
あるいは他者をよく洗い清め
器しだいでどんな形にもなり
四季の時節をはずすことがない
もっともすばらしい人間は
水のような美徳を備えているために
咎めがないのである

水があらゆるものに潤いを与えること、もっとも低い所に流れようとすること、器しだいでどんな形にもなること・・・などを老子は褒めたたえた。
それは言い変えると「柔」の極致でもある。

このように「柔」の概念が重視されているから、水の在り方を善とする考え方も出てくるし、それが「道(タオ)」の比喩として用いられている。

老子の思想の方向性が大体分かっただろうか?
 

国家繁栄より真理探究

そんな抽象的な真理を簡潔な言葉で説明しようとする老子は、「国家繁栄」よりも「真理探究」を大事にしていると言って良いだろう。

そもそも、老子は国家繁栄について何か考えていたのだろうか?

聖人がどうあるべきかについてや、聖人による世の中の治め方についても『老子道徳経』に書かれているが・・・それは「道(タオ)のような自然の精神を持っている、素朴な人物が良い」みたいな内容で、国家繁栄については具体的にあまり考えられていないし、孔子のように積極的ではない。

また、儒教にはリーダーが持つべき道徳である「五徳」があるが、
老子の思想には「三つの宝」と呼ばれるものがある。
これは老子道徳経の第六十七章に書かれていて、以下のような内容である。

我有三宝持而保之
一曰慈
一日儉
三曰不敢為天下先
 

~日本語訳~

私には三つの至宝がある
一に慈愛
二に決して生命エネルギーを浪費しないこと
三にあえて天下の先頭に立たないこと

一つ目に慈愛や慈悲、二つ目に儉(無駄な贅沢をしないこと、つつましさ)が大事だと書かれている。これは孔子にも通じているのでは?と思える所であるが・・・
三つ目に「あえて天下の先頭に立たない」と明言されているので、やはり老子の思想は基本的に自ら王やリーダーになることは好まない。

それから、老子の一生については『史記』の原文で「居周久之,見周之衰,乃遂去」と記述があり、これは「周の国に居る中でその衰えを見ると、そこを去ることにした」みたいな意味である。
サラっと書かれていることであるが・・・あらためて考えてみれば・・・国が駄目だと分かった時に逃げちゃった人である。

その一方で、孔子は国で過ごす中でその衰えを悟った時に「なんとかしよう。」と孤軍奮闘・四苦八苦し、たくさんの弟子達を教育して、ちゃんと役人になることもできて有名になった人物である。

この両者のどっちが良いのかは一概に言えることではないと思うが・・・

整理すると双方の対極さが見えてくるようになって面白いと思う。
 

他力救済より自力救済

孔子の思想は国のために尽力したり、民を救うことに尽力するから、これは「他力救済」の思想だということを以前に説明した。

それに対して、老子の思想は「自力救済」の思想に該当する。
自己の救済において国に頼ることや他者に頼ることはしないし、「無為自然」で生きるので他者を救済するために明らかな動きをすることはない。
他者のために動く「慈愛」を大事にする所もあるが、あくまで自然に湧き出るものがないと動くことをしない。

世間をどうにかしようと考えるよりも、「道(タオ)」の原理を理解するために真理追求をしていくわけだが・・・そうしていると「善悪」や「良い・悪い」の価値判断がそもそも人間特有の後天的なものであることが分かってくる。
自身の人生を不幸に感じてきた人にとってそれが分かってくると・・・自分の人生は実はそこまで悪くはないんじゃないか・・・と悟るような感覚になってくる。
これはこれで必然的に救いにもなるので、老子の思想は自力救済の道でもある。

また、「道教」も割と自力救済の思想である。
国がひどい状況だから国を変えようといった発想はないが、とりあえず自身が仙人みたいになってなんとかしてしまおうみたいな発想であるため、自分で自分を救うようなものである。

道教のルーツにあった太平道や五斗米道に関しては、治療がメインの宗教であったため他力救済の要素もあったが、やるべきことは当事者が己の罪を反省することなので、結局は自分自身次第なものでもあった。

このように、老子の思想と道教は、孔子の思想や儒教と違って、「他力救済より自力救済」の考え方がベースになっているわけである。
 

老子~道教の流れと陰陽哲学

さて、話をようやく陰陽哲学に繋げていこう。

老子や道教の方向性は、端的に言うと「真理探究」や「自力救済」を重視するので・・・
陰陽哲学だと「顕陰」側にあるものに該当する。

国を積極的に良くしようとするよりも各々が好きなことをしようとするから、その意識はスキゾのようであるし・・・
老子は見た目が美しいものよりも素朴なものを好み、精神の内面を重要視するから、その意識は内向タイプのようであるし・・・
社会で出世することを目指さず、道(タオ)のような概念を信じつづけて生きるから、超人のようなスタンスになるし・・・
やってることが風変わりだと、革新の立場に近くなる。

大体すべてそっち側に当てはまるのが分かるだろうか?

また、老子は言語化の法則について注意するから、非言語的なものを重要視していたし、
道教は気功・瞑想法・護符術・練丹術・儀式魔術・道教音楽といった非言語的なものが発達していた。
だから、「言葉の壁」を突破するようなことを色々やっていた所もある。
 

あと、もう少し付け加えるなら「老子の思想≠道教」であるため、道教が「顕陰」に該当するかに関しては少し違うかもしれない。

道教はもう少し世俗的なものに結びついており、土着的なものであるため・・・
もっと原始的な「元陰」の力が強いのではないだろうか?

老子も道教も概ね「陰」側であるが、老子の方がちゃんと「顕陰」に該当する。
道教の方はもっと混沌としていて、動物的な欲にも結びついているから「元陰」によっている・・・と解釈するとしっくり来ると思う。
 

二つの流れ

以上。孔子の思想と老子の思想についてそれぞれ長いこと説明してきた。

そもそもの趣旨は、「天」や「陽」が先手なのが孔子や儒教の流れで、「地」や「陰」が先手なのが老子や道教の流れということだった。
その意味が大体分かってきただろうか?

改めて考えると、特に「孔子⇒パラノ」「老子⇒スキゾ」の方向性はピッタリと当てはまる。
孔子の思想は後世で頭でっかちな人をたくさん排出したが、老子は国の衰えを見てただ逃げただけの無責任者である。
両者を比較して一概にどっちが良いかはなかなか難しいわけだが・・・

この説を元にして、さらに陰陽哲学を深めていこう。
 

↓続き

陰陽哲学基本概要(13) ~陽を建前とする儒教と、陰を建前とする老荘~

 

参考文献


-【連載】陰陽哲学

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