不定期連載『サイキックの研究と分析』シリーズ。 記事一覧はこちら。
◆◇固執してしまうこと◆◇
次から紹介する法則は、どちらかというとサイキックの欠点みたいな法則についてです。
まずは『固執してしまうこと』について。
「固執」の正しい意味は「意見を変えない」ということですが、
サイキックでは「物質の世界で具現化したものが固定される」ということがしばしば起きるので、
サイキックにおいて「固執してしまう」と言うと、
「固定されたものに執着する」みたいな意味になります。

具現化された天使像に固執してしまうとか、神様像に固執してしまうとか、仏像に固執してしまうとか
それから、『固執してしまうこと』は、
『具現化の法則』と合わせて発生するものであり、
『具現化の法則』の欠点みたいなものでもあります。
「具現化の法則」と「固執してしまうこと」
まず、「固執」が起きる前提として、
『具現化の法則』の法則によって「目に見えないもの」が具現化されます。
そこから、具現化された「目に見えるもの」が正しいと信じるようになり、
それに執着してしまうほどに信じて疑わなくなった場合、
「それではないもの」を間違っていると否定するにまで至ることがあります。
これは人間のエゴの問題でもあり、
人間は「自分にとって都合の良いものを信じる」という発想になりがちだから起きる問題でもあります。
自分にとって都合の良いもの「善」とする人ほど、
自分にとって都合の悪いもの「悪」とします。
そして、それが行き過ぎると、
本来の具現化元である「目に見えないもの」まで否定するようになり、
具現化された偶像の方が正しいという思想に「固執」してしまいます。
つまり、具現化された偶像に縛られて、
その元にある「目に見えないもの」が結局、分からないままになってしまうのが、
サイキックにおける『固執してしまうこと』です。
これは、言い換えると「形骸化の法則」とも言えます。
あらゆる文化や宗教は、
元は「目に見えないもの」からの啓示が発端にあったりします。
特に、紀元前から存在するものほど、
科学では解明されていないような、魔訶不思議なものが発端にあったりします。
人間が科学をベースに物事を考えるようになったのは、およそ17世紀に入ってからです。
宗教の発端あたりで出てきた「儀式」や「偶像」は、
始まった当初は意義のあるものとして人々に受け入れられたから、
今日まで伝統が続いてきたものです。
しかし、そうしたものは時代が進むことによって「形骸化」することがよくあり、
本来大事にするべきものが認識されないようになってしまうことがよくあります。
これもまた『固執してしまうこと』によって、目に見える儀式の内容や偶像の姿が重要視され、
その背景にあるサイキック的な原理原則が無視されることによって起きるわけです。
「固執してしまうこと」を防ぐためには
宗教の「形骸化」のような『固執してしまうこと』を防ぐためにはどうすれば良いでしょうか?
そうなってしまった場合、また『認知の法則』に立ち返って、
サイキック的な原初の感覚を呼び覚まさなければなりません。
しかしながら、人は「自分にとって都合の良いものを信じる」という方向に行きがちなため、
『固執してしまうこと』によって信じられているものもまた、
特定の人達にとって都合が良いから信じられていることもあります。
そこで、自分が『認知の法則』によって認知したものと、
『固執してしまうこと』によってみんなが信じているものが、
まったく違っていることもあるかもしれません。
その場合も、自分が信じるべき方を信じていかなければなりません。
それから、これは『確信の法則』の項でも書きましたが、
「自分の信じているものだけが正しい」という固定観念に依存し過ぎないようにしましょう。
自分の信じたいものを信じるのはそれはそれで良いとしても、
「思想の押し付け」や「思想の否定」まですると、人としてただの嫌なやつになるし、
さらには暴力的なことまでに発展するとそれは一線を越えているので、
そうしたことには注意しましょう。
「他人のやり方」や「表現の違い」には寛容でないと、
サイキックにおける異文化交流に問題が生じてしまいます。
そういう人はあまりサイキックには向いておらず、
結局、宗教で言われているような教義をただ信じたいだけの人になってしまいます。
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